8月21日16時14分配信 産経新聞』(YAHOOニュース国内)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080821-00000113-san-soci
日本赤十字社が全国で運営する92病院のうち9割の病院が医師不足を訴えていることが21日、日赤が行った実態調査で分かった。足りないとする医師数の合計は796人にも達している。とりわけ、北海道と東北、中国・四国は管内の全病院が不足を訴えており、日赤は「地方での医師不足は深刻」と指摘、急速に医師不足が広がっている実態が浮き彫りとなった。
日赤による調査は、平成18年から実施され、今回で3回目。足りないとする診療科と医師数を4月1日現在で各病院に自己申告させた。その結果、89・1%に当たる82病院が何らかの診療科で医師が足りないと回答。不足医師数は33診療科796人に上った。不足医師数は18年は437人、19年は614人だった。
診療科別で、不足人数が最も多かったのは内科系で226人。次いで産婦人科系68人、小児科系56人、外科系48人、麻酔科系46人と続いた。
不足を訴えた病院の地域別の割合を調べたところ、北海道と東北、中国・四国は全病院が「不足」と回答。以下、中部95・0%、関東(山梨、新潟両県含む)90・0%、近畿84・6%、九州・沖縄50・0%だった。近畿では、大津と京都第二を除く11病院が医師不足を訴え、高槻(大阪)と長浜(滋賀)の不足医師数が顕著だった。
こうした背景には、待遇の良い都心部の大病院など一部の病院に医師が集中していることなどがあるという。また、「トラブルが多い」などとして外科や麻酔科、産科といった診療科を敬遠する新任医師が増え、診療科ごとの医師の構成バランスが崩れていることも要因で、こうしたしわよせが地方の中核病院に出る傾向が強まっているという。
各病院への調査結果でも医師不足の理由(複数回答)として多かったのは、「医師が大学に戻った後、補充が困難」(27・3%)▽「他病院に行った後、補充が困難」(25・2%)▽「大学医局からの補充が困難」(10・3%)−の順に多く、不足した医師の補充策に悩んでいる傾向が明らかになった。
日赤では地方の医師不足に対応するため、東京から地域医療を担当する医師を派遣する試みも進めているがまだ十分な対応はできていない。
(以上、引用終わり)
今、急激な医師不足が報じられていたが、まさか、日赤病院までとは思いもよらなかった。
ここで、赤十字を振り返ることにする。
(引用元:日本赤十字社HP http://www.jrc.or.jp/index.html)
●赤十字の誕生と創始者アンリー・デュナン
スイス人のアンリー・デュナンは1859年6月、フランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍の間で行われたイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノの近くを通りかかりました。そこで見たものは、4万人の死傷者が打ち捨てられているという悲惨なありさまでした。デュナンは、すぐに町の人々や旅人達と協力して、放置されていた負傷者を教会に収容するなど懸命の救護を行いました。
「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない。」との信念のもとに救護活動を行いました。
ジュネーブに戻ったデュナンは、自ら戦争犠牲者の悲惨な状況を語り伝えるとともに、1862年11月『ソルフェリーノの思い出』という本を出版しました。この中で、
(1)戦場の負傷者と病人は敵味方の差別なく救護すること
(2)そのための救護団体を平時から各国に組織すること
(3)この目的のために国際的な条約を締結しておくこと
の必要性を訴えました。
この訴えは、ヨーロッパ各国に大きな反響を呼び、1863年赤十字国際委員会の前身である5人委員会が発足、1863年にはヨーロッパ16カ国が参加して最初の国際会議が開かれ、赤十字規約ができました。そして翌1864年には、スイス他15カ国の外交会議で最初のジュネーブ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生したのです。
●創立
日本赤十字社は、1877年(明治10年)に創立された博愛社がその前身となっています。その後、1886年(明治19年)に日本政府がジュネーブ条約に加入したことに伴って、翌1887年に名称を日本赤十字社と改称しました。
博愛社は、1877年2月に発生した西南戦争の折、佐野常民(さのつねたみ)と大給恒(おぎゅうゆずる)の両元老院議官によって創立された救護団体です。西南戦争では、官軍と薩摩軍の間で激しい戦闘が繰り広げられ、両軍ともに多数の死傷者を出しました。
このとき、この悲惨な状況に対して佐野、大給の2人は、救護団体による戦争、紛争時の傷病者救護の必要性を痛感し、ヨーロッパで行われている赤十字と同様の救護団体をつくろうと思い立ちました。
1877年(明治10年)、佐野、大給両人を発起人として博愛社の規則を定め、政府に対し救護団体「博愛社」の設立を願い出ました。
しかし、この願いは認められませんでした。博愛社の規則第4条にある「敵人ノ傷者ト雖モ救ヒ得ヘキ者ハ之ヲ収ムへシ」とする規定、つまり「敵味方の差別なく救護する」という考え方が理解されなかったからです。
博愛社の設立を急いだ佐野は、征討総督有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)に直接、博愛社設立の趣意書を差し出すことに意を決し、1877年5月、熊本の司令部に願い出ました。有栖川宮熾仁親王は英断をもってこの博愛社の活動を許可されました。
救護活動の許可を得た博愛社の救護員は、直ちに現地に急行し、官薩両軍の傷病者の救護にあたりました。そのかたわら、水俣をはじめ地域的に発生したコレラ流行地にも救護員を派遣して、予防と手当に努めました。
この博愛社の活動は、当時、敵の負傷者まで助けるという考えが理解できなかった人々を驚かせ、人道・博愛という精神文化の基礎をわが国に植え付けたのです。
現在の日本赤十字社は、昭和27年に制定された日本赤十字社法に基づいて設置された法人です。
(引用終わり)
急激な医師不足。医師はいずこ・・・という感じである。
赤十字には少なくともきちんと医師はいるだろう・・・と思ったが、勘違いだったようだ。もはや、人道・博愛という精神は無いようである。
とある政治家は、「投資を積極的に行うよう」促していたが、いま、一番必要な投資の場所は医療ではないか・・・などと思っている。
企業家のみなさん、ご自身の健康のためにも、医者や医療機関への投資は忘れずに!
行政も、医療への投資をきちんとやらなければならない時期に来ているのかもしれない。でなければ、民間療法や祈祷師による健康維持のみに期待しなければならないという先進国らしからぬ状況に陥るかもしれない。

