朝日新聞が10月30日付の記事『オーサー・
ビジット2009』に
瀬戸内寂聴さんの講演が書かれてあった。その中に「恋」と「愛」が書かれてあるので紹介したい。
彼女は仏教である。ただし、違う解釈の考え方も当然あることは否定しない。
記事から解釈するに
「恋」・・・仏教での「渇愛」。愛するだけでは足りず、愛されることを求める。恋は永遠ではない。2年くらいでは。
「愛」・・・仏教での「慈悲」。見返りを求めない。
このように解釈すると、最近の
結婚→離婚騒動は、実は「恋」のみの状況から結婚に踏み切り、そして相手に飽きて離婚した・・・ということなのだろう。
しかし、昔の人に「結婚生活」の話を聞くと、「打算」「寛容」と言う話も聞く。また、「ギブアンドテイク」(与え受け取る)という話もある。
つまりは、結婚には、「恋」「愛」「打算」「寛容」「ギブアンドテイク」が複雑に絡み合ったもの、といえるのだろう。このバランスがうまくいけば、結婚はうまくいくのではないだろうか。
無論、それをすべて計算して行っている
人間なんて、なかなかいないはずだ。自然の調和の中で、自然にそれを感じている、といえるだろう。
で、「結婚」を「紙切れ」というか「本当の結婚」とするかは、その人々の判断によるのである。つまり、こころの中に、線引きするかどうかである。ただ、最近は、多くの人にとって、線引きするのが耐えられない時代なのかもしれない。また、経済的な事情もあるだろう。過去の風習にこだわらず突っ走りたかった人もいるはずだ。
「事実婚」というのは、そういう人たちの「国」ではない2人の線引きだった、と私は今考えている。
しかし、その「事実婚」をした人も、国に反発しながら、国を好きだったと私は思う。それが、反発する日の丸への一礼だったのだ。と、私は思うのだ。
しかし、今、そういう線引きを忘れている人もいる気がする。しかし、どんな思想でも忘れてならないのは、「自分」という線引きである。「自分」が行った行動、それがどのような状況であったか、それはその場で認識しておこう。それだけは絶対である。そうしなければ、いつかは溶けて無くなってしまうだろう。何かを演じるにしろ、本気で
生きるにしろ、風をうけてその風を感じ、転んで痛いと感じる。それが「自分」なのだ!ただ、痛みをどうするか。受けた風をどうするか。それは瞬時か、ゆっくり考えた上でなのか、その行動によるのである。
ただ、私は、どんなときであっても、好きな人は大切にしたい。好きな人にたとえ裏切られたとしても、である。衝動で怒り、衝動でいじめていたとしても、なるべく人は裏切らないようにしたい。残念ながら、ポリシーを持てばそれは生きにくいのだが。
あと、今の時代、自分以外にどこに線引きを引くか?と言う問題は残るはずだ。
例えば、それを「国家」もしくは「国土」にするのか、という国境で線を引けるかどうか?というのが、おそらく、日本国民かどうかの線引きとなるであろう。
昔の左翼は、国家政策はいやでも、国土は愛していた、人は愛していた、と私は思う。今はどうなんだろうか?
左翼が叩かれ、右翼が叩かれ、最後に残ったのは、おそらく、考え方に右往左往する人のみではないだろうか。
それどころか、全体的なある考えに追随ずる、全般的な集団化のみが残ってしまう気がしてならない。
しかし、そうでなければ生活ができない、という話になってくるのかもしれない。
近未来、個人が、それに所属するグループ、集団に右往左往しながら、生活するようになるだろう。
問題は、突然それらの集団から切り離されたときである。
憲法は個人の権利の尊重をうたっているが、おそらくは非現実的となるだろう。その際に、権利をどうやって保持するのか?
セーフティネットは、現政権になってからあまり聴かれなくなった。それに変わる言葉は「友愛」であるが、これは、ある意味孤独に生きる市民にとって、その生き方は不可能である。
特に危険なのは、孤独な市民である。
しかし、社会には冷静に見守る人がどのようなときも必要である。ただし、それは、何も日本人である必要はないかもしれない。
また、その人が発する言葉が、実は社会を明るくすることもあるかもしれない。逆に暗くすることもあるかもしれない。
ただ、やはり、不況下においては、一番先に切り捨てられるのは、そういった個人である。
1億2千万人の市民が住む日本で、これからも多くの
恋愛があるだろう。それが、環境によるものであったとしても。
それが急にくるものか、じわじわとくるものか、それは不明である。が、いずれにしても、その
チャンスを大切にしてほしい。
もしかしたら、目の前の相手は打算かもしれない。しかし、たとえだまされていたとしても、その時幸せを少し感じていたとしたら、それはいいではないか。
ただし、
借金したり、すべてを貢ぐほどの愚かさはお勧めしないが。
ひょっとすると、結婚はある意味詐欺かもしれない。
しかし、何はともあれ、死ぬまで幸せな魔法(プログラム?)にかかっていて欲しいものである。
ともかく、皆さん、良い婚活・結婚生活を!